今日はしばらく放置してしまったので、DJ TOMOとしての本音を少々。
ラウドという雑誌をやっている以上、「クラブミュージックに可能性を感じない」とは口が裂けても言えませんが、現状は危機的だと正直思います。そもそも20年前に始まったハウス以降のクラブシーンは完全にピークを打っており、音楽的にも進化が止まっているに近い状況です。シーンが完全に上り調子だった’90年代前半は、毎週リリースされる12インチに、どんな音楽的発展が込められているのか、チェックするのが楽しみでしようがありませんでした。はっきり言って、ここ数年は大沢伸一さんなど数人の選曲だけをチェックすれば、ほとんど見逃しはないと言ってよい状況です。クラブミュージックはヘヴィーメタルのように様式化してしまい、最も保守的な音楽に成り下がってしまったとさえ感じています。ハウスが登場したとき、僕はロックやポップスを強烈に時代遅れの音楽だと感じたのですが、今はその逆が起こっています。新たな音楽的発見はむしろロック分野に多く、それが最近のラウドにも反映されています。よく昔一緒にやっていたようなDJやクリエイターから「また何かやりましょうよ」と言われるのですが、そこに可能性を感じないからやめてしまったわけで、それをまだやっている人と一緒に何かやるのは不可能です。どちらが正しいというのではなく、価値観、状況の捉え方が違うわけで、それは決定的です。クラブミュージック・クリエイターの中に僕と同じように感じている人がいるのは事実で、ダレン・エマーソンやティム・デラックスは「ジャンルにとらわれずにXLのようにロックやポップも手がけてみたい」とか言いますし、ベースメント・ジャックスは「ダンスであることにこだわらない」とさえ言います。ロック的要素を取り入れたハウスやテクノが増えているのもそういう理由でしょう。しかし、最近の動きはいかにも中途半端です。クラブカルチャーが音楽的にラディカルな地位を取り戻すにはいくつかクリアしなくてはいけない課題があると思うのです。まず、「ミックスを前提にした12インチをつないで一晩のストーリーをつくる」というDJスタイルはもうあきらめなくてはいけないと思います。ノン・ミックス、BPMは統一されていない、というのを前提にして考えるべきです。クリエイターなら6分のダンス・ミックスで3分でブレイクして、などという構成は破壊すべきです。そしておそらく最も重要なのは、ミニマルであることを放棄しなくてはならないのです。これはハウスから流れるDJカルチャーの全否定であり、ほとんどのクラブ関係者には受け入れられないことでしょう。しかし、クラブミュージックの魅力を「未知との遭遇」であると考える僕にとって、もはやそれは避けられないことに見えます。