音楽業界で長く仕事をしていると「サイケもそろそろ終わりだね、次は何かな?」的会話をよく耳にします。「サイケ」の部分は人名だったりもします。が、僕はそういう話題になったジャンルや人が「終わらない」ことを経験的に知っています。さらに、「次」として話題になる方が不発に終わることが多いことも経験的に知っています。なぜか?「次」としてブレイクするものは、意外だからブレイクするのです。今までそこにいた人には予測困難であるがゆえにブレイクするということです。たとえば「サイケ」の次に「北欧系プロッグ」がブレイクするというのでは意外性ゼロです。素人の発想であり、規模が縮小する可能性の方がはるかに高いです。少なくともクリエイターやオーガナイザーはそのようなことは考えないものです。ブレイクするには、そこに参加していなかった人を巻き込む違った切り口が必要ですから、この場合は普通のロックファンやポップスファンを巻き込むような展開がおそらく正解でしょう。では、なぜ「終わる」と話題になる方は「終わらない」のか?「終わる」と話題になる方は既に一度ブレイクして大きなファン層を獲得しています。本当にその音楽が好きな人は「終わる」という話題を仕掛けるような傍観者や愉快犯の意見には左右されませんし、むしろ浅いファン層がどこか他に流れることを好ましくさえ思っているものです。したがって、一時的に規模が縮小することはあっても「終わる」ことはないのです。ヒップホップにさえ、「終わる」と言われていた時期がありましたが、結果どうなったかはごらんの通りです。ただ、はっきりしているのはアンダーグラウンドからオーヴァーグラウンドへ向かうことはあっても、逆行はありえないということです。よって、その音楽のカッティングエッジにあたる部分をアンダーグラウンドさに求める人にとって、個人的にその音楽が終わってしまうことは充分にあり得ます。僕個人は、すべての音楽の変化をあるがままに楽しむというのがポリシーなので、自分の中で何かが終わる時はその音楽が変化しなくなった時だけです。それも永久に停止していることは稀なので、真の意味で終わるということはありません。だって、音楽は常に動いているのが普通なんですよ。